本庄市はふるく古代から人々の居住空間となっていました。最古の遺跡として小島石神境遺跡と西五十子田端屋敷遺跡があります。これらの遺跡からは約1万5000年前にまでさかのぼる旧石器が発見されているのです。さらに古墳時代から奈良・平安時代にまでまたがる遺跡が市内に数多く発見されています。その中には1500年前にまでさかのぼる土器もあります。かつては200基以上もの古墳があったとも言われています。

本庄市が歴史の舞台でクローズアップされるようになるのは、古代末期から中世にかけて。平安時代末期から児玉党という武士団が活躍するようになります。そして中世には関東の拠点として重要な位置を占めており、戦国時代には騒乱の舞台となりました。戦国末期には本庄宮内少輔実忠が現在の市役所付近に本庄城を築城しています。その後豊臣秀吉による天下統一、徳川幕府の誕生といった歴史の流れのなかでこの本庄は幕府直轄の天領となり、宿町として繁栄していくことになります。幕末直前の天保年間には中山道最大規模の宿町として繁栄していました。

明治に入り、1889年に町村制が施行されて本庄宿から本庄町へ。この時には児玉郡に属していました。その後1954年には本庄町に加え4つの村が合併して本庄市が誕生、新たな歴史がスタートしました。

さらに2006年には児玉郡児玉町と合併、現在の本庄市の姿となりました。この時にはどちらも歴史があり、数万レベルの人口を誇る市町村が合併するということで大きな話題になりました。新たな体制となり、現在さらなる発展を目指している状況なのです。